なぜ在宅介護は「家族関係」が悪化するのか?

 子どもの頃に見ていた両親

子どもには判断がつかないような問題があると、真っ先に相談できたのは両親でした。

しかし、思えばその頃の両親も20代や30代だったりで、言ってみれば今の自分自身よりも若かったりします。

なので親も子どもには「こうしなさい!」と言ってみても、その根拠は意外と曖昧なものだったかもしれません。

ある意味で、親も子育てを通じて成長するのですが、親だからと言っても何でもできたとは限りません。

なので、家を出て社会人として何十年も生きて、親との同居をするのですから、親と言う存在が昔とは違って感じたりするのも仕方ないことです。

在宅介護を困難にする要因

「それ、今じゃなくてもいいよね!?」

「今しないと、期限が来るよ」

自由な選択ではなくて、いろんな事情から手順が決まってしまうことに対して、親が間違えた順番を言い出すと、やはり気になります。

しかも、揺るかでも日に日に両親の見当識は低下しているので、話を聞いても即座に「間違えている」と伝えるだけでは解決できません。

例えば、母親は身の回りのものを決められた場所に置いておくことが習慣化しません。

割とどこにでも置いて、後から探してしまいます。

数年前なら、車のキーを紛失した時に家族で大騒ぎでした。

でも今は、数日に一度のペースで、いろんな物を探しています。

「どこに置いたかなぁ?」

今すぐに出掛けるようなタイミングで、肝心なものが見当たらないこともあるので、「物の置き場を決めたら?」と、当たり前の話題になります。

でも母親にとってはそれができないことで、それができていたら別のことももっと上手くできたと言う話になってしまいます。

もちろんこみちも同じなのですが、結局はなんだかんだ言っても、人はそんなに自分を変えることができません。

早起きすると言うようなことは努力次第ですが、そもそも理解できていないことを出来るようになるのは容易ではないからです。

在宅介護では、親も子どもも未熟で、意見もこだわりも必ずしも理にかなっているとは限りません。

だから、「何で?」と言う疑問が起こり、また説明も不十分で、すれ違いになってしまいます。

して欲しいことは全くしてくれなくて、むしろしないでいて欲しいことはしてくれたりする。

これって、怒っても注意しても、話し合っても、お願いしても、無理なことなんです。

性格の不一致とも言えますが、いつも面倒な方に流れてしまうので、助けて欲しい時も助けてとは言えず、泣いて訴えても分かってはもらえません。

話合えないのは、やはり辛いです。