「買い物」ができなくなった母親に心配している話

 「買い物」って簡単ではない!?

「買い物」というと、お店まで出掛けて、欲しい商品を選び、レジで清算する一連の行動と思いがちです。

しかし実際の家庭生活では、日用品の過不足や献立によって購入しなければいけなかったりして、しかも訪れる店によって価格も違いますから、どこで何をいつ購入するのかを滞りなく済ませるのはかなり高等な行為です。

母親の変化

母親は昔から家計簿をつけません。

料理でも一切の味見をしないので、出来上がりは上手くできた時とそうではない時の差が極端です。

そんな母親の料理が、段々と上手くできないことが増えて、これでは家族としても厳しいだろうということで、こみちが朝夕の料理を担当するようになりました。

それと同じ頃から、両親の昼食は二人にお任せしているのですが、様子を見ている限り母親がキッチンで料理と言えるような作業をすることはなくなり、レンチンとか湯を沸かすような行為で、菓子パンや弁当などを二人で食べているようです。

父親は過去に糖尿病から来る脳出血もあり、血糖値の管理が欠かせません。

マンジャロを使っていた頃は順調に体重も減り食欲も標準的に戻りましたが、過去に自分で一回の投与なのに二回も打ってしまい、それ以来経口摂取の薬に変わってからは明らかに食欲が増していて、顔もかなりふっくらとしています。

父親は既にまだらな傾向で、一見すると普通に見えるのですが、よくよく観察すると行動にちょっと不自然な部分があります。

しかしながら、それ以上に母親の変化が気になるのです。

父親が好きな柿を近所の人に分けてもらったらしく、ここ数週間、一人で柿を食べたり、バナナを食べたり、アイスクリーム、お菓子と糖尿病罹患者特有の糖質の摂取があります。

「見えるところに甘いものを置かないようにしようね」

そんな家族での相談も母親はすぐに忘れて、「お父さん、柿が美味しいって!」と教えてくれます。

そんな行動に、「ん?」と母親の認知を疑ってしまうのです。

糖尿病と甘いものが親密な関係で、父親が健康で長いしたいなら、日常的に摂取する量を管理するのはやむを得ないこと。

そんな話を繰り返しても、翌日には母親が「美味しいって」と言うのです。

「それがどう言うことなのか、分かっている?」

そんな風に問いかけると、母親は黙ってどこかに行ってしまうのです。

状況を理解することが難しくなって、それこそ買い物で同じ商品を連続して買ってしまうということもありますし、買うべき商品を確認して買って来ることももうできていません。

なのに、父親には菓子パンを買っていることに驚きます。

糖尿病の件を無視したとしても、例えばこみちや妻にと冷凍のうどんを買ってくれました。

「それをいつ食べろと?」

そうなってしまいます。

夕飯で母親たちが食べるものを作る必要があるので、それこそ自分たちように何か買って来て、こみちたちはうどんということなら理解できますが、うどんだけを買って来ても父親はうどんが嫌いですし、食べるタイミングが本当に限られます。

今さっき、買い物をして冷蔵庫に何か入れていたので確認したのですが、朝食用に加わってのは「もやし」一袋で、それを使って四人分と弁当を作ります。

生魚とか、肉とか、買っておいてくれたら、野菜と合わせるからと伝えていますが、どうにも使いづらいものを買って来ます。

今晩は温めるだけで食べられる「おでん」と、妻が食べられないほうれん草の胡麻和えを作りました。

ほうれん草も、もう何度も伝えているのですが、忘れているのか普通に買って来てしまうんです。

今、冷蔵庫には「しめじ」が3パックもあります。

ピーマンが2袋。人参も2袋。

そんなにピーマンばかり食べますか?

人参も肉じゃがやきんぴら、味噌汁などで使っていますが、気づくとまた連続して買ってしまいます。

「できていない」と肩を叩くのは簡単ですが、ほとんど何もしない父親に母親が加わったら、それこそ在宅介護はハード過ぎます。

まだ徘徊にはなっていませんが、これから数年先に「買い物に行かなきゃ」になってしまう未来もなくはありません。

怖い未来しか待っていないんです。