「時間を掛ける」という感覚

 難関資格取得よりも難しいこととは!?

例えば司法試験のように国内でも難関とされる資格がある。

一回で合格できる人もいれば、10年掛けて合格できた人もいる。

若い頃は一回で合格した人を優秀な人だと思っていた。

でも、逆を言えば我々の人生を100として、法律で解決できることは10くらい。

中には1って人もいるだろう。

つまり、司法試験に合格したくらいでその後の人生が約束されるほど簡単ではない。

それ以上に実際に裁判官や判事、弁護士として世間で活躍し始めて人間の営みに気付かされることも多いだろう。

勉強が得意な人なら、法学部を出ていなくても独学で司法試験に合格してしまうだろう。

じゃ、そんな優秀な人に弁護を頼みたくなるだろうか。

法的な解釈がある程度できる人なら、そんな有能な人を上手く扱って、必要な情報や結末を導けるかもしれない。

でも何も知らない人が相談した時に、やはり有能とは言え、その人の人生観の中でしか答えを導いてはくれない。

「勝訴」「敗訴」ではない。

そんな感情に寄り添ってはくれないし、寄り添ってくれようとしても、どこか違っていたりする。

でも、勉強ができる人は、集中力も高く、普通の人が気になることを省くのも上手い。

それは普通の人が大切にしていることもそう大事ではないこともある。

一目惚れとか誤解、錯覚が人の人生を作る。

でもそんなことが皆無なら、合理的な結論に行きつける。

でも、相談する時は考えてしまう。

相手だって、なぜそんなミスを?と思うに違いない。

誰かを好きになるにしても、完全無欠な人はいない。

ただ嫌いな所を気にしないでいられるかがポイントだ。

可愛い人、綺麗な人だと思ったけど、笑い声が変とか、笑顔が可愛くないとか、横顔が好みではないとか、みんながどんなに誉めていても、自分には受け入れ難いこともある。

それこそ世間からの評価ではなく、自分がどう感じるかがポイントだろう。