フィンランドで子どもたちの授業時間が短くなった背景

 「学ぶ」とは何か?

中高年になったこみちにとって、学ぶとは「プロセス」を知ることでした。

何したいことが見つかると、それができるようになる手順や方法を探るのです。

多分、そんな解決方法も、学生時代に覚えた習慣で、例えばテストで良い点を取る方法がベースになっているのでしょう。

しかし、最近の若者たち(と言っても10代から30代まで幅広いのですが)を見て思うのは、我々世代にはなかったアイテムが生活の中でも重要性を増し、つまりは生き方そのものが以前とは大きく変化していることを表しています。

基本を身につけて、応用へと繋げていく。

しかし、そのほとんどが、決められたカテゴリー内で完結していたのが我々世代の常識でした。

ところが、例えばYouTubeで活躍している人たちをみると、さまざまな領域で自身の強みは発揮しています。

専門的な知識や情報はもちろんですが、ちょっと暇つぶしに眺めていたいと思うようなもの、結果が分かっていてもそれを承知で見てしまうものなど様々です。

つまり、あるきっかけの答え(最終ゴール)は一つではありません。

だからこそ、「学ぶ」もまた時代によって変化して良いのでしょう。

フィンランドで行われた教育改革

その一つが、「宿題」を廃止したこと。

というのも、「宿題」とはこれまで先に生きてきた我々世代が、当時の実情をもとに、必要だったり知っていて欲しいと思うことを子どもたちに伝える方法です。

その答えを導くために、思考までもが古い世代の習慣に沿ったものをなぞることになります。

それはつまり、彼らが成人となった時に、「こんな時にはこうしよう!」と思う発想そのものが「時代錯誤」にならないとも限りません。

なぜなら、我々は時に若者文化を理解できなかったり、少し興味の無いものとして感じます。

しかし、若者文化も偶発的に出てきたものではなく、それまでの背景があって、そこから自然的に導き出されたと感じます。

言い換えれば、そんな若者文化から遠い場所にいる我々世代こそ、「今」から取り残された存在になっている状況なのです。

だとすれば、フィンランドで行われた教育改革が何を目指しているのか分かるように思います。

つまり、覚えるべき項目を最小限に落とし、彼らの自由な発想に任せて、必要な知識や情報を教育として「後出し」すれば良いのです。

「これってどうなっているのだろう?」

そう感じてくれた時に、背景や未来について、一緒に考えることができれば、子どもたちだけでなく我々もまた「今」を理解することができるでしょう。

何らかの理由で、我々は自然と優先順位を付けてしまいます。

子どもたちのように、「コレは何という名前の虫だろう?」と興味を膨らませることはできません。

「〇〇だったら良いのになぁ」

一見すると無謀や不可能に思えることでも、発想に縛りが無いことで思いつくことはよく起こります。

でもそんなことを言ったら思って口をつぐんでしまうと、新しいことは何も始まりません。

なるほどぁと感心させられたので、一部だけですが紹介させてもらいました。