認知機能が低下した利用者とは?
質問します。
貴方は認知機能が低下するとどうなると思いますか?
実は介護経験がなかった頃、こみちも「認知機能が低下したらどうなるのだろう?」と考えていました。
結論から話せば、特に変わりありません。
もちろん、低下したことによって意思の疎通がスムーズに行かないことも増えます。
より詳細な説明や、繰り返しの声掛けで誘導しなければいけなくもなります。
しかし、誤解して欲しくないのは、認知機能が低下しても「その人らしさ」を失ってしまった訳ではありません。
介護士がどんな言葉で声を掛けたのかも分かっています。
ある利用者に、「その靴は貴方ね!」と言われました。
名前まで覚えてくれなくても、介護士の特徴を利用者なりにつかんでいます。
言いかえれば、自分に優しくしてくれる介護士なのか、意地悪な介護士なのかも彼らはしっかりと見抜いているのです。
つまり、人と人とのコミュニケーションですから、認知機能が低下しても、本能的な感覚で相手を見定めることは行っています。
だから、認知機能が低下した利用者だからと言って、特に何も変わらないのです。
貴方の名前を教えて欲しい!
ある利用者は、何かにつけてメモして欲しいと言い出します。
こちらのスケジュールが押している時に「書いてください!」と言うので、介護士は「無理です!」とか「忙しいです!」などとぶっきらぼうな対応になります。
しかし、よく観察していると、誰にでも言っている訳でなくて、彼らなりに「書いてくれる介護士」を探しています。
こみちは、その利用者の言動を理解したくて、メモして欲しい理由に着目しました。
「まんじゅうって書いてますね!」
メモ帳のあるページを開いた時に目に飛び込んで来た言葉を投げかけました。
「(まんじゅうは)オヤツのこと」
「そうそう。外は丸くて中にあんこが入っていますね。〇〇さんはまんじゅうが好きですか?」
「嫌いです!」
「どうして? 美味しいのに?」
「オヤツでしょう!?」
「そうですよ。まんじゅうはオヤツです」
そこで興味を失ったのか、こみちの存在も気にすることなく黙り込んでしまいました。
しばらくすると、また「メモしてください!」と声が掛かります。
「何と書けば良いですか?」
側にしゃがみ込み、その利用者に声掛けします。
「まんじゅうと書いてください!」
「まんじゅうですか?」
「まんじゅうはオヤツでしょう!?」
「そうですよ! まんじゅうはオヤツです」
ある意味で、「まんじゅう」と言う言葉に興味があるのかもしれませんが、人とのコミュニケーションに満足したいのかもしれません。
このケースでは、「まんじゅう」と言う共通認識が利用者と介護士を繋いています。
そして、「そうですよ」と言う承認がその利用者を満足させ、心に潤いをもたらしているとこみちは考えました。
だからこそ、「メモしてください!」が日に何度あっても、時間の許す限り対応しています。
一連のやり取りが「介護」になっているからです。
ある意味では、障がいを持った人にも言えるでしょう。
特に精神的な面での障がいがあると、同じフレーズを繰り返したり、一般的には見逃してしまうようなことを気にしたりします。
「何で? どうでもいいでしょう!」と介護士が思い込んでしまったら、もう利用者を理解することはできません。
実は、我々の日常生活でも、相手の思い込みが強い時に頭ごなしに否定しても聞き入れてくれないことがあります。
なぜなら、その人は何らの原因があって、それが大切だと考えているからです。
「そうなんだね。でも、どうしてそうなの?」
例えば、そんな問い掛けをすれば、理由を教えてくれるかも知れません。
聞けば納得のこともあるでしょうし、思い込みや誤認からそう思ったのだろうと察することもできます。
「なるほどね! 良いけど、この後だとダメかなぁ?」
そんな誘導で、利用者が納得してくれることもあるでしょう。
つまり、認知機能の低下というのは、過去を知る人に分かる話であって、初めて会った人にとっては、低下したのかどうかで対応に変化はありません。
理解してもらえない時はより詳しい、または必要となる情報を見つければ良いだけだからです。
その上で、「イヤだ!」と否定されれば、時間を置いて再度話をもちかけましょう。
そう考えるようになって、認知機能が低下した利用者ともしっかりコミュニケーションが取れるようになりました。
知ったかぶりせずに「何でなの?」と聞けば、利用者が心境を教えてくれたりもします。
「そうなのね。だったら、したくなったら私に声かけてくれますか?」
しばらくすると、「いいよ!」と教えてくれたりします。
利用者の世界にお邪魔する感覚で接すると、介護させてもらうのが楽しくなってきます。