「ありがとう」と言われる仕事
中高年になった人にとって、介護職は他のどんな仕事とも異なった意味を持っています。
それは「自身の老後」を直視するということ。
つまり、どんなに社会的な地位が高くても、資産家だったとしても、老いは必ず巡ってきて、長生きする限り誰かの世話になるしかなくなります。
その現実は、衝撃的なものではありませんが、淡々としている事実です。
住み慣れた家で暮らし続けるにしても、できないことがあると、家族の誰かが世話をしてくれなければ、難しいこともあります。
近所に高齢者だけで生活される家があり、ゴミ捨てなどで顔を合わせますが、家から片道30メートルの距離も、重いゴミ袋を持って移動するのは簡単ではありません。
段差一段ごとに足元を確かめて、ゆっくりゆっくりと歩いている姿を見掛けます。
自分が弱い立場になった時、誰から世話にならなければいけないと受け入れた時、人はそれまでの人生観さえも失いかねません。
確かに介護士として働いていると、頻繁に「ありがとう」と言われたりします。
若い頃であれば、それこそ言葉通りに受け取ったかもしれません。
しかし、自身も段々と老いを感じる年齢になり、誰か「ありがとう」と言うに至る心境まで理解できるようになると、助けられる一方になってしまう「介護される側」と言う立場は、自身の存在さえも変えてしまうように思います。
こみち自身の変化
こみちがもしもいわゆる「エンパス」だったとしたら…。
エンパスとは、心の傾向の一つで、誰かがいると合わせてしまうとか、気に影響され過ぎてしまうタイプをいいます。
例えば、自分に全く非のない理由で相手が怒っていた時、その状況だけで不安感だけが増して、落ち着きを失い、いつも以上に相手への気遣いをしてしまうというようなことがあります。
つまり、ニュース番組で悲しい事故などを観て、家族が心配や不安を感じたりしていると、自身はいつも通りなのに、周囲の影響を受けて落ち込んだりしてしまうのです。
揺るぎない事実として、妻との相性はもう何十年も一緒にいますが、自身が自身のままでいられる相手です。
性格や顔立ち、スタイルや経済力、もしかすると妻とは異なる理想の相手が居たのかもしれません。
しかし、不定期に訪れる不安感のような感情に襲われた時に、それこそ妻でなければダメだったことも少なくありません。
弱さを持つこみちに対し、妻は竹を割ったような性格と適度に忘れっぽくて、ネチネチとしつこさがありません。
どんなに美人な人だとしても、そんな一面を持っていたら、きっとこみちは落ち着きを失って二人の関係は上手く行かないでしょう。
女性だけでなく、男性に対しても、あまり距離感を意識しないで近づいて来る相手に、今のこみちは耐えられません。
それは起業という意味でも言えて、積極的にアプローチするべきタイミングでさえも、それができないままになって、結局は遠回りをしてしまいます。
介護士という職業を経験し、相手のことを考える癖がより強くなって、こみち自身はとても消極的になってしまいました。