中高年の仕事探し 「老い」を感じて無理ができない?

 ダブルワークを始めたものの…

介護士として働くと、本当に考えることが増えてしまい、時に自分の不甲斐なさに落ち込んでしまいます。

これも、若い頃なら自身の勢いで乗り越えたり、誤魔化せたりしたのですが、段々と瞬発力がなくなると老いが露呈します。

「ここは?」

「ああ、そうでした。差し替えでしたね…」

作業内容を忘れないようにメモしたつもりでも、ふとした時に「抜け」が出たりします。

以前なら直前に気づけたかもしれませんし、抜けも瞬時に修正できたはずです。

ちょっとしたことが二度手間となり、結果的に以前の半分の成果になってしまうのです。

高齢者になると、本当にミスを直せなくなります。

ミスしたことを覚えていても、どっちが正しいのか分からずに同じ失敗を繰り返すこともあるからです。

これはこみちではなく、同僚の高齢スタッフの話。

「あとでするからこのままにして置いて欲しい」と告げたはずなのに、こみちが席を外れてからずっと関わっていたようで、全く進んでいないだけでなく、別の簡単な作業も手付かずのまま。

「なんで?」

「やってみようと思って」

言い分は分かります。

でも、別の仕事場でこみちが迷惑を掛けるように、このスタッフも悪気な無くても状況判断ができなくなっているのです。

「ありがとう。こっちはするから、あっちをお願いします」

そう言いながら、もしかしてこみちもこんな風に思われているのかもと考えてしまいます。

中高年になると現状を打破できない!?

本当に自分を変えたいなら、少し早く始めた方がいいでしょう。

感覚的には、以前ならマックスで180キロ出た感覚が、今では良くて120キロから30キロ。

しかも、一気にトップスピードに向かうのではなく、ダラダラと緩やかな加速です。

だからどうしても、感覚的には何テンポも遅れて感じるのですが、それを急げばどこかでミスをします。

つまり、3ヶ月で完成させられたらものなら、半年から一年計画にしましょう。

そして、その分、いろんなことをちょこちょこと無理しない程度に続けることです。

「して欲しい人」と「して欲しくない人」がいる

例えばこれからランチを食べようと思った時、どこの店で何を食べようかとあれこれ想像するのが楽しいという人がいます。

一方で、何でもいいから、目の前に出してくれたら嬉しい人もいます。

これは好みの問題ですし、どちらが良いという話ではありません。

しかし、「あの店に行こう!」と思って出掛けようとした時に、「インスタントラーメンできるよ!」と誰かが勝手にお湯を注いでいたらどうでしょうか。

自分も食べるし、相手も食べるだろうと思ったのでしょう。

しかも目の前に出て来るのだから嬉しいに決まってるいると。

「ええ? 出掛けるつもりなのに…」

「ラーメン食べてからにすれば!?」

「…」

高齢者の暮らしというと、何か認知症のようなもの忘れに関連した生活を想像するかもしれません。

しかし、そんな側面もありますが、意思決定のプロセスがとても曖昧で、一方通行になりやすいのも特徴です。

「お茶飲む?」

そう何度も問い掛けて、反応がないから冷蔵庫にしまった途端、「飲むのに!」と言い出されて面食らいます。

しかも、冷蔵庫にしまう瞬間を見たのではなく、明後日の方向を見て言い出したから余計に疑問を感じます。

「ごめんね。でも、「飲む?」って訊いたんだよ」

思わずそう言い訳をすると、「あのコップに注いで」と告げられ、いつの間にかまた冷蔵庫から取り出し、コップも用意して注ぐような話になっています。

「自分で注げば?」と言いたくても、そんなやり取りをすれば、また会話は思わぬ方向に進み、とにかく時間が掛かります。

「入れたよ」とまた冷蔵庫にしまうと、「お煎餅あったよね?」と独り言なのか会話なのか、どんどんと話が変わっていきます。

「さぁ〜? 分からない」と言ってやっとその場から立ち去るまでに、どれだけの時間を費やしたでしょうか。

年を取ると、何でもして欲しくという人が増えます。

でも、みんながそうではなく、自分のペースでしたい人もいます。

例えば介護士として働く場合はその見極めが必要ですが、自宅で介護する場合にはさらに立ち位置が難しくなります。

相手のペースに合わせてしまうと、何から何まで時間が掛かり、簡単なことも数倍の時間と疲労を伴います。

自分のことは自分で頑張ってみることができれば良いのですが、根が依存体質だったり、お節介焼きだったりすると、ちょうどいい分担にはならずに、何かとひと手間ふた手間掛かってしまうのです。