コミュニケーション能力に障害があるの?
以前、エンパスのことを記事にしましたが、その意味で言えば「コミュ障」と言う点ではどうも該当しているように思います。
でも、「コミュ障」が実際にはどんな定義づけをされているのかは知りません。
ただ日常生活で言えば、相手の表情や言葉から、互いの距離感が大幅に異なっていると感じた時に、自身でどうして良いのか分からなくなってしまいます。
つまり、時折、他人の言動は曖昧なもので、何気なく使った言葉や表情が、誤解される形となって受け止めてしまうことがあります。
「なぜにその言葉を?」
タイミングを考えると、到底出てくるはずにない言葉が突然に現れてしまうと、その真相心理に関心が移り、その言動が可能になる感情をイメージします。
メンタリストのDAIGOさんが紹介していた「コミュ障」
YouTube チャンネルでメンタリストのDAIGOさんが、コミュ障について紹介されていました。
簡単に言えば、好かれるコミュ障と嫌われるコミュ障の違いは感情を表現できているかいないかだそうです。
その意味で考えると、こみちの思考はとてもロジカルで、前提条件とその結果に一定の因果関係が存在します。
何かを聞かれた時には、その質問が出た理由に始まり、求められている答え、さらには真実と思える答えなど、様々なことを連想しながらコミュニケーションを取ろうとします。
しかし、相手の発言によっては、その真意が読み取れずに、どう答えるべきか戸惑います。
そんな時はこちらの表情も曖昧でしょうし、場合によっては「何を考えているのか分からない」と思われるかもしれません。
ただ、ここで本音を言えば、先に意味が不明瞭なのは相手の方で、あまりにとっぴ過ぎる故に、過去の会話パターンからも想像できません。
感情を読み取りにくいコミュ障は、周囲からも嫌われやすいと紹介され、その意味では自身が読み取れるか否かではなく、相手から読み取りやすい表情や言葉を使うことが改善のポイントになるそうです。
それは今までにない発想で、コミュ障を治す時に少し意識してみたいと思いました。
介護士をしているときに
結構な頻度で感じるのは、利用者の発語が他の介護士と異なること。
こみちと利用者が二人でいる時なら、会話してくれた時でも、別の介護士が現れると唐突に無表情になり、呼びかけにも応えてくれないケースが頻繁にあります。
しかも、こみちが感じている印象とは異なるイメージを他の介護士が持っている時も多く、「寒いってさ」と言うと、その言葉ではなく感情表現があることに驚かれたりします。
それってコミュ障という定義で考えると、感情や言葉がよりストレートな利用者からは、すんなりと気持ちが入って来ます。
ふと思うと、感じたイメージ以上に実は言葉などを発していないのかもしれません。
でも、会話は成立していますし、「布団を掛けますね」と伝えれば「胸まで」と教えてくれます。
その意味ではエンパスもコミュ障もかなり近い感覚にあって、見方が異なるだけかもしれません。
ふとした「ひと言」や「態度」で
相手の言葉や表情、態度で気になることがあると、それまでの印象がガラリと変化し、急に距離を置きたくなることがあります。
多くの場合、他人の言動にはそれほどの根拠が無いのですが、個人的には「理由」や「経緯」を読み取ろうとするあまり、疲れを感じて嫌になり、最終的には面倒になって会いたくなくなります。
確かにマクスの着用が増え、表情が見抜けないようになり、言葉から感情を読み取ろうとすることで、コミュ障を感じるのかもしれません。
「嫌われている」という感覚は、実は相手がこみち自身を読み取れないゆえに戸惑っている時にも感じてしまう感覚で、だからこそ近づけないし、面倒に思われるのでしょう。
でも、できるなら想定した距離感で十分な時に、相手が踏み込んでくることがあると、とても平常心が乱れて、いつまでも同じ場面が心でループし、とても落ち込んだ感情に支配されてしまいます。
職場での些細なやり取りに始まり、帰宅後の望まない飛び込み営業マンの言動も重なり、今日は何だか疲れました。
あまりコミュ障という言葉を使いませんが、改めてコミュ障なのかもしれないと思った午後でした。