「継続する」ことが「人生を変える」一歩!?

 一発逆転を達成できる人は…

中高年になって思うのは、得意だった分野が平凡になり、普通だったことが少し苦手になって、苦手なことは不得意になってしまうこと。

つくづく、「自分は何の取り柄もないつまらない人間だ」と感じてしまう。

ただ、昔を思い返せば、そんなこみちにも「一発逆転」を実感した瞬間がないとも言えない。

今の状況では少し難しいだろうと思うことを手に入れたりした時だ。

多くは過ぎ去ってしまうとその有り難みを忘れてしまい、まるで当然のこととして記憶しているものだが、一度や二度くらいは「一発逆転」とまでは言わないにしても「ラッキーな出来事」や「大きな失敗にならずに済んだ」など、自分の身を助けてくれたような巡り合わせがある。

こみちにすれば、「一発逆転」が起こる可能性はあと一回あるかないか。

つまりなければ、もうこのまま年を重ねて、やがては今の状況さえ段々と難しくなって、一つ諦め、二つ諦めと、最後は「これだけは!」と思うものを大切に生きるのだろう。

これまでの経験や他人の一発逆転を観察すると、本人の才能や努力も必要だが、それ以外の要素も無視することはできない。

つまり、飛び上がる準備は必要だが、自力で飛び立てる人以外は、「風」を待つしかないのだ。

待ってすぐに吹く人もいれば、5年も10年も掛かる人もいる。

ただ、特殊な状況でない限り、人生は10くらいで一周し、全く同じとは言わないまでも、似たような状況が巡ってくるように思う。

今まで生きてきた経験から「自力で十分」と思う人は、これまでの自分を信じて行けばいい。

「チャンスを待つ」と思う人は、努力や準備の他、少しでも可能性を上げるために幅広いことに目を向けることが大切だと思う。

視野はどうすれば広がるのか?

「視野を広げる」と言っても、何から始めればいいのか分からないこともある。

結論を言えば、「生活リズムを変えること」になるだろう。

その前兆をしては、日に何度も「時刻を見る」という習慣が生まれ、「時間を大切にする」ようになる。

というのも、「時間は平等に与えられるもの」でも「使い方に差が生まれるもの」とも言える。

昔、馬の合わない先輩が「どうにかなる」という口癖だった。

なぜ、苦手に感じたのかというと、確かに過ぎてしまえば「人生などどうにかなる」ものだけれど、予定外のことが起こればそれを周囲がフォローしているからに過ぎない。

その先輩とチームを組み、準備もほどほどのやり方で「どうにかなる」と歩むことをやめてしまうと、やはり結果だけ見ると「求めていたような未来」は訪れない。

実際、試験など、その人にとって「大きな分岐点」となるような場面で、緊張しないと言う人がいて、その理由は「やり尽くしたから、運命を待つ」と言う状況らしい。

つまり「人事を尽くして天命を待つ」と言う心境なのだろう。

言うなれば、それで失敗したのなら、もう諦めるしかない。

しかし、「あの時に」と思うようなことがある人ほど、「後悔」を重ねることになる。

例えば本当に難しい挑戦は、失敗も覚悟しなければいけない。

でも、しっかりと準備すればクリアーできることも多い。

自分にとっての「目標」を見つけることができれば、それをきっかけに「視野を広げること」もできるだろう。

「継続は力なり」と言うけれど

「毎日、散歩する」ということは簡単に見えてなかなか難しい。

その場にいて「あとは歩くだけ」というなら、もう歩けばいい。

しかし、実際は天気が良くなかったり、その時間に別の何かをしたいと思ったりで、そこまで行くことが難しい。

でも「継続させる」には、時間の使い方を工夫することが必要で、その意識が「今後の人生を変える」ポイントにもなるのだろう。

こみち自身は、嫌いなことよりも好きなことをしたいと思うタイプだ。

サラリーマンの経験もあるけれど、毎日同じ作業を繰り返す職種ではなく、一週間や一ヶ月という期間の中で調子や勢いに合わせて、アイデアを生み出したり、工夫を思いついたりしながら仕事を進めていたから、「苦手なことでも今する」という経験は介護士になってから知ったかもしれない。

調子が悪かったり、状況的にいいタイミングではなかったりしているのを知りながら、無理して取り組むという経験を知って、「人生は大変だ」と実感したこともある。

介護士の仕事など、自分のペースではほとんどできないから、アレコレと周囲から要望を受けて、「後手後手」に動くことを求められる。

でも、それも継続することで「価値」となり、誰かの役に立つことにもなる。

では「継続って何だ?」ということになるけれど、「習慣にする」ということかもしれない。

「新聞を読む」とか、「雑誌を読む」ということも、暇つぶしではなく、「習慣」にできれば、それはもう「継続」の始まりなのだ。

そして、「継続すること」で視野は広がるし、気づけば以前とは生活リズムも変わっているだろう。

職場には三階まで続く階段があるけれど、それを使わずに上ることは難しい。

だから、一段ずつ、足を運んで行くのだが、それこそ「習慣」であり「継続」で、それらが「目標達成」を与えてくれる。

場合によっては、他人には「一発逆転」に見えるような出来事も、実際にはそうした取り組みがあって、ただ人によって階段の形状に違いがあるに過ぎない。

今日は月曜日。

仕事が始まる人もいるだろう。

今日、今週、今月、いつでもいいが、自分なりの「習慣」が見つかれば運命も変わってくるはずだ。