「介護」を自分の強みにしたい
介護士として働いてみて分かったのは、利用者の日常生活を安全に見届けることが最大の目的だということ。
当たり前だろうと思われるかも知れないが、少なくともこみちは「生き甲斐」というものにも目を向けたかった。
実際、利用者の多くは自分の話に耳を傾けてもらいたいと感じているし、親身なって向き合えばいろんな気持ちを話してくれる。
そして、そのほとんどが不可能な話というよりも、昔の経験や思い出、今の生活で改善出来そうなちょっとした内容のものが多い。
介助にあたる時に、利用者から聞いたことを活かすようにすれだけでも、明らかに満足度が違うと言える。
ただ、そんな「ひと手間」を介護士がしているかと言うと、そうではなさそうだ。
そんな方法を使わなくても、施設が求めるノルマを果たせるからだろう。
最近、無表情のまま食べさせられている利用者を見るたびに、「この人は幸せを感じているだろうか?」と考えてしまう。
極端なことを言えば、「人の幸せ」を叶えるのはとても難しく、「ではどうすれば?」と問い掛けられると閉口する。
でも、楽しい時は笑顔になるし、側で見ている我々も幸せな気持ちになる。
それを知っていても、介護士たちが「ひと手間」を掛けないのは、介護を仕事だと割り切っているからだろうか。
もちろん、そんな理由もあるのだろうが、無表情な利用者に気付いていないこともあるだろう。
中高年から始められる仕事として、介護は代表的な選択肢の一つだ。
過去のキャリアを活かさないつもりなら、年齢や学歴の面で敷居が低いから、採用される可能性が高いからオススメしたい。
もっとも、実際に働いてみれば、いろいろな利用者に触れる中で人生観を学べるだろうし、他の介護士との関係からも学びにつながるはずだ。
ただ、今のことみは、親しくさせてもらっていた利用者を喪ったりして、ちょっとナーバスになっているのかも知れない。
その方は家族が看取りに来てくれたし、最期の時も手を握られながら安らかだったから、きっと安心して旅立ったと思いたい。
しかし、そこに至るまでの流れをみれば、気になることもある。
もちろん、何か不手際があったと言う話ではなく、介護士として満足を与えられたのかと考えてしまうのだ。
「そんなことを考えたりしませんか?」
ある先輩介護士に、今まで一度も聞いたことがない質問を投げかけてみた。
「それって答えが出ないでしょう!?」
言い分を聞いて、こみちはそこまで割り切れるのだろうかと感じてしまった。
介護のイロハを学ぶために「老健」を選んだのだが、今となっては別の施設にも興味がある。
かと言って、ご存知かどうか分からないが、もう一つのブログ「マンガなら分かりやすい」や初めて間もないYoutubeチャンネル「こみちチャンネル」も下準備が続いている。
もっとはっちゃけられたら良いのだけれど、思いばかりが強くて行動が伴っていないから、やりたいことに踏み出せず、「何でだろう?」と考えてしまう状態に落ち入るのだ。
イラストや似顔絵に関しては、リラックスにも繋がっているから続けていきたい。
ただ介護に関しては、そろそろ別の施設に目を向けても良いのかなぁと感じる。
入所している利用者は、とても良い人たちだし、他の介護士も温かい人が多い。
こみちの性格や気持ちを察してくれているのか、利用者との関わり合いにも否定的なことはでない。
それでも、こみちが続けたい「介護」が老健の介護サービスではないことも分かって来た。
良い意味で、もっとシンプルに効率的であることが求められている。